付録(1)
 
 
M式20年の歩み
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1 日本語入力の重要性に着目
 
 著者はNECの情報処理事業担当専務取締役として在任中、日本のコンピュータ産業の生き残り戦略の一つとして日本語処理の重要性に着目し、その技術開発に注力した。 その結果,出力側では漢字を印刷可能なレーザプリンタの開発に成功したが、肝心の入力側については、見るべき進展がえられなかった。
 1978年著者がNEC役員を退任し、特別顧問に就任した。役員在任中は多忙で寸暇もなかったのに比べ、特別顧問になってからは自分自身の時間を持てるようになったのを機会に,日本語入力の問題に取り組んだ。
 先ず、手当たり次第に、日本語関係の本を勉強した。しかし、書店に並べられた新書では基本的な知識は得にくく、寧ろ国会図書館にある古い本に参考になる記述が多かった。 そこである期間、国会図書館に通い続けて勉強した。
 勤務時間中に図書館に通うことなど、現役役員時代には到底考えられないことで、この点は特別顧問であることの特権を満喫した。
 その反面、現役専務時代には号令を掛ければ動員できる部下が数千人居たのに比べ、特別顧問として号令できるのは女性秘書1名だけという点は悲哀だった。
 
 
2 M式の着想と日経年間優秀製品賞受賞製品PCWORD−M開発 
 
日本語の勉強を続けれるうちに、次第に日本語の発音の特徴が見えてきて、この特徴を有効に活用すれば効率のよい日本語入力方式が得られるのではないかと思い始めた。
 そこで、入力方式の構想をまとめるに際し、そもそも、「よいキボードとは何か?」を考察した。その結論は「キー配置の覚え易さ」と「入力速度の」速いこと、の2条件を両立させる方式がよい方式であることに気がついた。
 そして次第に日本語入力方式「M式」の構想が固まっていった。 
 しかし、この構想を具体化するには、キーボード、ソフトウェア、および辞書の開発が必要であり、これらはそれぞれ高額の開発資金が必要なので,一文も研究費を持たない特別顧問の立場では開発は到底不可能だった。
 そこで自分でできることとしては特許の出願と、女性秘書を相手にボール紙でキーボードの模型を製作する事ぐらいだが、キーの配置には無数の組合わせがあり、最適化を追求して何百枚も図面を書き直す作業が続いていた。
 そのようなとき、たまたま、当時副社長の大内淳義氏が「M式構想を近々発売予定のPC−8800の応用ソフトの一つとして実現しては?」とのご提案があり、渡りに船と そのご提案に便乗して開発することになった。
 ソフトウェアの開発は大内氏の紹介で、あるソフト会社に発注することになり、数か月間私はそのソフト会社に毎日通勤しその会社の社員と一体となって開発した。
 辞書については、比較文化論・比較言語学の造詣の深い丸山和光氏(当時日本電気文化センター常務)の熱心なご協力が得られたことは大変幸運だった。
 同氏はご自身辞書編集を主宰されるとともに、毎日新聞社編集局次長・サンデー毎日主筆のご経歴のある大西仁氏をご紹介くださった。大西氏は長らく編集・校正業務に従事しておられ、文章・漢字などに通暁しておられるので、まさに辞書編集の最適任者である。
 キーボードについては全社の商品のデザインを統括するCID室の積極的な応援が得られたのは有り難かった。
 このようにして、各方面の人材に恵まれたお陰で、約一年半と比較的短期間でパソコンPC−8800用のM式ワードプロセッサが開発されたのである。
 待ちに待ったソフトご完成したとき、これをパソコンに載せ、新しいキーボードを接続し、待機していた二人のオペレータが操作したところ、ディスプレー上に日本文がすらすらと流れるように表示された。
 これは、それまで見たこともない速さだった。ここ数年間の努力の実った感激の一瞬だった。
 大内副社長はこの方式に「PCWORD−M」と命名した。このMは森田の頭文字であり、爾来、世間ではこの方式を「M式」と呼ぶようになった。
 昭和五八年三月、学会発表に続き、経団連会館で新聞記者発表が行われた。はじめは無関心だった記者も、だんだん皆乗り出してきて、自分で操作を始め、延々一時間半経っても終わらない大反響だった。
 実際の製品は、昭和五八年七月に発売され、好評だった。
 翌年二月に、NECはこの方式について、日本経済新聞社から年間優秀製品賞を受賞した。
 
 
3 新入力方式センターの設立
 
  その後、日本電気ホームエレクトロニクス社からM式日本語ワープロ専用機PWP−100が発売され、当時多数発売された日本語ワープロ専用機の中で、入力速度の速さと当時としては抜群の的中率、及び人間工学的形状で世の注目を集めた。 
 昭和58年10月小林宏治会長のお声掛かりで、日本電気エンジニアリング社の一部門として、「新入力方式センター」が発足した。 
 これは、今後M式の開発を推進するには何らかの組織が必要との会長のご判断によるものだった。
 センターの構成は、協同システムエンジニアリング社取締役亀山正男氏を中心とするソフトウェア開発グループと、大西仁氏・仁平忠氏・上野純子氏らの国語専門家で構成される辞書編集部隊と評価用のオペレータグループとで総勢20人の規模だった。
 このセンターはその機能を発揮し,NECの担当部門に協力して次々と新製品を開発した。
 また、オペレータは各種のショウや展示会で実演して新方式の宣伝普及に努めた。
 新製品の第1段は情報処理グループから昭和59年4月に発売された業務用ワープロ専用機「文豪NWP−5N」だった。続いて、昭和60年四月に第2段として「文豪NWP−5V」が発売され、これらは軽印刷業界に好評で、多くのM式愛好者を育てた。
 また、日本電気ホームエレクトロニクス社では「PWP−100」に引く続き、伊藤節子氏等を中心にM式の開発が続けられ、昭和60年1月に可搬型パーソナルワープロ「文豪ミニ7」が発売された。

 
 
4 万国博政府館に陳列
 
 昭和60年3月から9月までの半年間、筑波で科学万博が開催されたが、その政府館の歴史館には日本の昔からのオリジナルな技術が紹介された。
 例えば、山陰地方で砂鉄から製鋼する「たたら」製法、豊田佐吉氏の紡織機械などが陳列され、最近の日本の工業製品として液晶テレビ、小型テレビカメラなどが並べられていたが、その最後に、最新の日本を代表する工業製品として、「文豪ミニ7−M式版」が陳列されていたのである。
 NECは別に大きい建屋を持ち、各種製品を陳列していたが、その中にはM式はなかった。
 M式製品がNECで取り上げられず、政府館で陳列されたということは、誠に皮肉なことで、興味深いものがある。.
 
 
5 M式ユーザ会発足
 
  NECの情報処理グループは新入力方式センターの協力を得て、文豪NWP−5N,文豪NWP−5V、文豪NWP−5NU、文豪NWP−5VU、文豪NWP−5M、文豪NWP−3MU、文豪NWP−3MUS、と続々と新鋭機種を市場に投入した。
 M式文豪は、その覚え易さと入力速度で熱烈なユーザを獲得した。ユーザは論文をを書く学者、記者、速記者、作家、弁護士、特許事務所、経営者など、多様だが、いずれにしてもM式は実際に多量の文書を作成する人々に高く評価された。
 特に軽印刷業界では、新規従業員を採用後、一人前にするまでの養成期間が一年から2ヶ月と、六分の一に短縮されたことと、熟練後の毎日の水揚げが約2倍になることから、熱心な愛好者が続々現れた。
 この中には、「日本の文字文化の推進」という高い次元で、損得勘定を離れてM式の普及に尽力しようと篤志家が現れた。三幸印刷の渡辺逸郎氏、Qプレスの新井暢氏などの方々がその代表であられる。
 そこで、これらのファンの方々を結集して、語り合う場を作ろうということになり、昭和61年3月、「M式ワープロユーザ会」が発足した。
このユーザ会は定期的に機関誌を発行したり、セミナーの開催、講習会の開催など、多彩な活動を行った。
 以上は日本語ワープロについてだが、当時の北村支配人の特別の配慮で、パソコンPC−9800へのM式適用も実現した。すなわち、応用ソフトとしてはM式ワープロの他に表計算とデータベースが、ハードウェアとしてはPC−9800用のM式キーボードが開発され、昭和61年11月NECから発売された。  
 これらはよくまとまった製品で、大手出版・印刷業者の一つである廣済堂などは各種入力方式を比較検討の上、M式が最適であるとして数百台を購入・実用されておられるが、既存の外部ソフトが適用できなかったので広く普及するに至らなかったのは残念である。
 
 
6 「COMPUTER」誌に招待論文掲載、および
  電子情報通信学会年間最優秀論文賞受賞
                 
 IEEEは工学関係で世界最大の学会だが、そのコンピュータ部門が発行する月刊誌「COMPUTER」はコンピュータ関係技術者の間で有名な雑誌である。
 その「COMPUTER」の1985年5月号に著者が執筆したM式の紹介論文、”A New System for Inputting Japanese Text " が招待論文として掲載され、特別に表紙に題名が記載された。
 これはM式が米国でもその存在が注目されたことを示すものであろう。
 一方、国内の学会でも、電子情報通信学会論文誌(D)の昭和62年11月号に「各種日本文入力方式の性能の定量的比較」と「日本文入力方式と鍵盤方式の最適化」が掲載された。
 この二つの論文は実質的には一つの論文で,前者に基づき後者の結論がでたのである。
 前者はキーボードの「良さ」を定量的に比較しようという全く前例のない試みであったが、後者の論文が学会で高く評価され、翌年5月の学会総会後の表彰式典で年間最優秀論文に与えられる「米沢ファンデーションメダル受賞記念特別賞」を受賞した。
 そもそも、年齢すでに満70歳を越えた会員が独創性が要件となる学会論文に寄稿すること自体が珍しいのに、年間最優秀論文を受賞する事は前代未聞の由である。
 これとは別件で、著者は「学士会会報」(1989年1月)に(ワープロを通じて日本語の特性)を寄稿した。この記事は大きな反響があり、手紙や電話、さらには来訪くださった国語学者の方もおられたほどだった。 
 
 
7 中国科学院と中文入力方式の協同開発
 
 中国科学院科学技術部副主任劉しょう声氏が来日の折り、NECの日比谷のショウルームでM式文豪に非常に興味を持たれた。
 その後、M式について詳細な説明を聞きたいという申し出があり、昭和60年10月NECのM式関係者が科学院に招待され訪中し、M式について説明・実演をおこなった。
 その結果、翌61年3月、中国科学院から文書により中文入力方式に関してNECと協同研究を実施したいとの申し出があり、NECがこれを受諾し協同研究が開始された。  
 同年7月北京で基本方針協議、同年10月広州にて第1回技術交流会議を持ち、爾来62年劉副主任一行の来日など、数次の相互訪問があり、M式キーボードとパソコンPC−9800を利用した中文入力方式の協同研究が行われた。
 昭和63年1月、研究成果の鑑定会が広州で行われ、好成績で合格し、この方式はMC式と命名され、日本と中国でそれぞれ大きく報道された
 協同研究が成功したので、引き続き協同開発を実施することになり、ハードウェアとしてはNECが発売中の文豪ミニ5HAを中文向きに改造する事で共同開発作業が進められた。
 平成元年(1989)11月、開発製品の検収が北京で行われ合格した。
 たまたま、同年に発生した天安門事件の影響で日中両国間の関係が悪化し、ハイテク 製品の輸出が困難となった事情もあり、これ以上の進展が困難となり、平成2年、協同開発を凍結することで合意した。
 この協同研究・協同開発を通じて得られたNECと中国科学院との友好関係が、その後のNEC情報処理事業部門の中国進出に役だったことを考えると、この協同事業はNECにとって必ずしも無駄ではなかったと思われる。
 
 
8 東京都高齢者対策室でM式採用
 
 東京都では今後都民の高齢者画が増加することが明らかなので、従来の高齢者対策であった入院・介護などの福祉関係だけでなく、積極的に高齢者を活用し、社会に役立てる「就業対策」を重視するようになった。
 その一環として、日本語ワードプロセッサの講習を行い、受講者を軽印刷業界に就職させるという試みが計画され、実行された。     
 この計画の中心人物は当時、東京都経済局高齢者対策室の笠川慶道氏である。 同氏は渡辺ユーザ会長からM式を紹介されてM式の愛好者となられ、爾来、熱心にM式の普及に尽力された。
 平成元年5月に中野の郵政弘済会東京地方本部で20名の受講者に対し、文豪3M−USを入力手段とした東京都高齢者対策室の就業対策第1回講習会が,また翌平成2年6月ハローワーク新宿で同じくM式を用いた第2回講習会が開催され、23名の方が受講された。   
 これらの受講生の方々はいろいろな企業に就職されたが、中には自分でワープロ教室を主催された方々もおられる。大河原律子氏もその一人でワープロセンターMの運営を任され、自分史の編集なども引き受けておられる。
 このように、東京都が実施されたM式ワープロを活用した高齢者就業対策は、来るべき高齢者時代に向けて大変意義ある施策であったと思う。
 
 
9 ボストンの人間工学関係の国際学会で講演
 
 平成元年9月、当時NECの常務理事であられた渡部和博士に勧められて、ボストンで開催された「Third International Conference on Human-Conputer Interaction」に参加した。
 この国際学会はウィスコンシン大学のスミス教授と、パデユウ大学のサルベンヂ教授が主催する人間工学関係の国際学会である。
 著者は「Development of New Keyboard Optimized from Standpoint of Ergonomics」という題名で、M式キーボードの人間工学的設計に重点を置いて講演した。文豪3M−US用のキーボードの実物を持参して見せたので、聴衆の関心を集め、質問続出した。
 講演が終わってからも、多数の人が著者を取りまき、質疑応答が続いた。
 講演終了後主催者が後援者を招待する懇親晩餐会が開催され、そこでもこのキーボードが専ら話題となった。
 
 
10 PC−9800用 M式「楽々キーボード」発売
 
 M式は日本語ワープロ専用機を中心に発展してきたが、パソコン主流の時代となり、M式のパソコンへの適用が緊急課題となってきた。
 そこで関係者がたびたび集合し、幾たびかパソコン用M式キーボード設計案を練り、改訂を重ねた。
 問題点は、ワープロ専用機と異なり、パソコン用の場合には次に示すように制約が多いことであった。
  これらの制約はM式と矛盾する点があり、何らかの妥協が必要であった。
 そこで、同一キーボードに二つのモードを用意することで問題を解決した。
 すなわち、標準モードと自動変換モードである。
 この二者をユーザは任意に選択可能とすることにより、最初は標準モードにより抵抗なくM式に入り、慣れたところでさらに高度の能力を持つ本来のM式に移行するする事も可能としたものである。
 このPCー9800用M式は戸坂支配人(現常務取締役)の大号令により製造・販売された(平成6年12月)が、なにぶん市販ソフトと組み合わせる最初の製品だったので、発売後もいろいろな問題が発生し、その解決に若干の時日を要した。
 しかし、まもなく問題解決し、爾来M式ユーザにとって他に代え難い貴重なキパソコン用キーボードであった。
 
 
11 (株)ジャストシステム社とATOK+Mを協同開発
 
 M式はその価値を知る愛好者から熱烈な支持を得ていたが、キーボード人口全体から見ればM式ユーザは少数派であり、今後M式を一般に普及させるには大変な努力が必要なことが予想された。
 今ひとつの問題点は、最近メモリの低価格化により高度の人工知能が実用化されてきたが、それには莫大な工数と時間が必要なことであった。
 
 これらの問題をクリアしながら、M式を広く普及させる方策として「一太郎」で知名度の高い(株)ジャストシステム社と提携し、両者協同でM式とATOKとの両者の長所を併せ持つ日本語変換ソフトを開発することが考えられた。
 NECのこの提案はジャストシステム社により受け入れられ、爾来、両社の関係技術者が相協力してATOK+Mの開発が進められ、平成10年9月、M式の特徴の大部分を持つATOK+MがATOK12発売と同時に発表された。
 
 なお、NECとJUST社は今後とも相協力して日本語入力方式の更なる改善に前進を続ける決意である。
 
 
12 PC98−NX用M式エルゴフィットキーボード開発
 
 楽々キーボードの使用経験を積むにつれ、改良すべき諸点に気づき始めた。
 さらにその後、Windows95が発売され、キーボードに新しい機能キーの追加が必要となった。 
 そのような事情もあり、NEC現役のM式関係者がOB役員会議室にたびたび集まり、 次期M式キーボードのあるべき姿についての論議を長らく続けてきた。
 その論議の途上で、NECのパソコンシリーズのPC−9800からNXシリーズへの転換が発表され、M式キーボードのNX用の新規開発が必須となった。
 そこで、デザインセンターの参加の求め、人間工学的にも最善を期した新キーボードの開発を急ぐことになったのである。
 そして、平成10年9月「エルゴフィットキーボード」と命名されて、前記の仮名漢字変換ソフト「ATOK+M」と同時に発売された。
 今後、エルゴフィットキーボードとATOK+Mとの組み合わせが市場に評価され、広く普及することが期待される。
 
 
 
  以上が1978年から今日に至る「M式20年の歩み」の概要である。
 
 
【 著者略歴 】
 森田 正典 ( もりた まさすけ )
 1915年 出生    工学博士
 1939年 東京帝大工学部電気工学科卒業
 同年  日本電気株式会社 入社
 同社 専務取締役 特別顧問 等を退任
 日本工学アカデミー会員 IEEE FELLOW
 紫綬褒章 恩賜発明賞 電子通信学会功績賞 等
 1995 IEEE MEDAL for ENGINEERING EXFCELLENCE 受賞
 著書 「これが日本語に最適なキーボードだ」日本経済新聞社 など

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